冬の対馬でしかできない体験、せんだんご作り。

冬の対馬でしかできない体験、せんだんご作り。

冬の対馬でしかできない貴重な体験の一つが「せんだんご」作り。郷土料理ろくべえの原料となるせんだんごは、単なる発酵食品ではありません。「千の工程を経る」とも言われるほど手間暇かけて作られる、謎に包まれた食材です。複雑な発酵過程は未だに解明しきれていない部分も多く、あまりに原始的で手間のかかる製法ゆえに、後継者不足と作り手の高齢化が深刻な課題となっています。その現状を知り、どうしても作り手さんを訪ねてみたいとの思いから早速向かったのは、厳原から豆酘へ向かう途中にある内山集落。ご夫婦で民泊を営みながら、せんだんご作りを続けていらっしゃる内山さんを訪ねました。

民泊「手づくりの宿」を営んでおられる内山さんご夫妻。せんだんごを作り続けて数十年になるそう。

穏やかな2月の午後、風もなく温かくて作業日和。今回体験したのは、工程の終盤にあたる「濾過」と「鼻高だんご作り」です。

手ごねで生成する鼻高だんご(乾燥前)

せんだんご作りの工程は、秋〜冬にかけて収穫した芋を砕いて水にさらし、発酵させます。やがて真っ黒なカビに覆われるまで屋外に放置し、1~2か月経ったものを再び水にさらします。何度か水を替えていくと、黒ずみが流れて、酒粕のような淡い色に変わっていきます。この日は、その粕色の混合水を用意していただき、作業を始めました。団子状の固形物が沈殿した混合水を目の細かいざるに注ぎ、優しくかき混ぜながら濾していきます。混ぜるうちに、どろりとした状態から次第に軽くなり、芋のかすだけが浮いてくる感覚が指先でわかります。タンクが一杯になるまで繰り返し、粕を除去してサラサラの液体だけを残します。冬の寒い日の冷水で、どんなに手が悴んでも必ず人の手で行います。

作業を終えた液体を数日置いて澱粉を沈殿させる。沈んだ澱粉を布で包んで水分を丁寧に抜いていくと、粘土のような固形物が現れます。ほんのりと酒粕のような匂いがします。

澱粉質の中にはカルシウムなどの高い栄養が含まれるそうですが、どの過程で成分が生じるかほぼ未解明とのこと。

次は鼻高だんごの成形です。手のひらで丸め、三つ指でつまみ上げて中央をくぼませる。乾燥しやすいよう編み出された形で、寒風に晒してカラカラに固まるまで干します。常温で一年保存できるとのこと。必要なときに水に戻して調理できる、先人の知恵は素晴らしいです。

内山さんのように形や大きさが均一にならず、時間も倍かかりました。
完成したせんだんご(右)

せんだんごの製造は機械を一切使いません。色、匂い、手触り、五感を研ぎ澄ませながら次の工程へ進みます。人間の感覚だけが頼りの世界です。便利な家電で楽に調理出来て、食べたいものがすぐ買える現代に、これほど手間をかけてまで作る意味を、どれほどの人が想像できるでしょうか・・・。昨今では、世界的にも稀であるこの製法が研究機関に注目され、次世代へ継承するための調査で訪れるそうですが、複雑な発酵の仕組みを科学的に解明するには多大な時間と費用が必要だそうです。かつては、芋を保存するための生活必需として、この製法が日常の中にありました。しかし今、私たちの暮らしは大きく変わりました。大量生産の食品を簡単に購入できて、タイパ思考で消費を繰り返すだけの日々に、本当の意味での豊かさはあるのでしょうか。内山さんのお話を伺い、せんだんごが少しずつ形になっていく様子を見つめながら、ゆったりと流れる時間の中で、そんなことを思いました。

菜食中心の夕食御膳、ろくべえには鶏だし「いりやき」のスープをかけて。

体験を終えた夜は、ろくべえ付きの手づくり御膳。家庭菜園の野菜、大豆、蒟蒻まですべて自家製でボリュームも満点!どれも体にすっと染み入る優しい味わいでした。もちもちした口当たりのろくべえを味わいながら、ふと、同じ発酵食のワインやチーズのことを思いました。西洋の発酵文化は、特定の菌、環境の整った条件下で管理によって行う商品製造が、一般的に知られる製造の典型です。一方、せんだんごはそれとは全く異なる印象を受けました。作り手が意図して菌を加えることもなく、空気や水、土壌に棲む目に見えない存在にすべてを委ねる。色や匂い、手触りを頼りに、自然の変化を受け止めながら、その時々の状況に応じて進めていく。そこにあるのは管理ではなく、自然との対話です。同じ長崎県内の島原でもろくべえが作られていますが、対馬ほど長期間、黒カビに覆われるまでの発酵は行わず、工程は対馬より少ないという話を聞いたことがあります。海に隔てられ、流通に頼れなかった対馬だからこそ、芋を保存するために、ここまで徹底した発酵と乾燥の技術が磨かれてきたのでしょう。人々のパワーも、そこから湧いてくるのだなと感じました。「難しいことなんて何一つないですよ、ただ気づくかどうかだけ」という、内山さんの言葉が印象に残りました。

自然を制御しようとするのではなく、人の感覚を信じて自然の力を読み取り、受け入れ、共に生きる。その哲学は、山や自然そのものを神と崇めてきた対馬の祈りの文化とも、どこか重なります。効率や合理性を追い求める現代。冬の対馬での体験は、ただの体験ではなく何を大事にして生きるのか、何を後世に残していくべきなのか、考える貴重な時間になりました。

(対馬感考案内人F)

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