対馬に通い始めて以来、ずっと温めていた事があります。その名も「ボーダーツーリズム」。直訳すると「国境観光」ですが、単に国境を越えて外国へ行く旅行のことではありません。国境という境目そのものや、境界地域ならではの風土・歴史・地政学的な背景をテーマに楽しむ観光のことです。国内でも、根室や知床、与那国島などがボーダーツーリズムの舞台として知られています。なかでも対馬は、韓国までわずか約50km。晴れた日には島の北端から釜山の街並みが見えるほどで、国境の息遣いをこれほど身近に感じられる場所は他にありません。しかも対馬では、国境を「眺める」だけでなく「越える」こともできます。釜山に近い上対馬エリアに滞在し、比田勝港から船でそのまま韓国へ。二つの国がどこでどう切り替わるのかを、自分の目と肌で確かめられるのです。日本にいながら異国と隣り合う感覚を味わい、さらにその境目を越えていく。それこそが、対馬でしか体験できないボーダーツーリズムです。
対馬を南北に縦断してみると、南の玄関口・厳原と、北の港町・比田勝とでは、街の表情がずいぶん違うことに気づきます。石垣や石塀が至るところに残る厳原の街並みからは城下町の伝統が感じられますが、大陸に近い比田勝は外に開かれた印象で、モダンとノスタルジーが同居する雰囲気があります。繁華街には活気あるカフェがあるかと思えば、昔の面影を残す路地や淡い色の街並みもあり、港町ならではの空気が漂います。そんな比田勝から、目と鼻の先にある釜山へ行く。距離だけ見れば、隣接の都市に出かけるような感覚です。それなのに、これはれっきとした海外旅行。飛行機で遠くの国へ行く時と同じようにパスポートを携え、出国手続きを経て海を渡らなければなりません。船でこんなにも近い場所へ向かうとき、旅の気分はどんなふうに「海外モード」へ切り替わるのだろう。そんな想像をふくらませていた折、偶然にも韓国へ行くきっかけができ、待ち望んでいたボーダーツーリズムを決行する日がやってきました。
出航前夜は比田勝に泊まりました。夜、市街地のスナックへ行くと、カウンターの隣の席には韓国からの若い旅行者の姿が。聞くと釜山とソウルから来たとのこと。翻訳アプリを使いながら、対馬旅の目的や日本への関心、韓国の街のことまで話は弾み、言葉の壁は思ったほど高くありませんでした。私は日本人として、彼らは韓国人として、それぞれの立場から自国について紹介し合っていました。国境を隔てて人の行き来が何百年あっても、言語や信仰や食文化がきっちり分かれている。境界があるから、それぞれの独自性が守られているという当たり前の事に気づきました。明日釜山へ行くことを伝えると、嬉しそうなリアクション。地元で飲むべきお酒や、インスタでは調べきれないような旬のグルメ情報を次々に教えてくれました。


翌日、比田勝からもう一歩先へ。午後発の高速船に初めて乗船。ジェットフォイルより揺れるという噂を聞いていたので、正直なところ身構えていました。ところがこの日の海は珍しいほど穏やかで、景色を楽しむ余裕も出来たほど。窓の外の海をぼんやり眺めているうちに、1時間ちょっとで釜山の街並みが視界に入りました。港に着くまで1時間半足らず。海の上の国境はいつ超えたんだろう?船で行く海外、しかもこんなにあっという間に。

港に降り立った瞬間、当たり前のことに改めて驚きました。そこは交じりっけのない韓国。海の上の一本の線を越えただけで、世界はがらりと別のものに切り替わります。10年ぶりの釜山は、こぢんまりした港町という記憶をあっさり裏切り、モダンなデッキが延び、高層ビルがそびえ立つ景観。まるで神戸か横浜のような都会的な印象でした。入国手続きも空港より手短に感じて、拍子抜けするほど。港を出るとすぐそばに釜山駅があって、鉄道や地下鉄にそのまま乗り継げる。自然豊かな国境の島から一気に大都市へ、まるで「どこでもドア」をくぐったかのような唐突さ。なかなか得られない感覚だなあと実感しました。



日が沈んで駅周辺を散策してみると港町らしく、市場には活気が溢れていました。漂う匂いも、飛び交う声も、店先の佇まいも、何もかも韓国そのもの。比田勝が長閑で優しい雰囲気の日本の港町であり続けているように、釜山もまた、どこまでも韓国らしい港町でした。
海を挟んで、違う国、違う言葉、違う習慣を持つ人々が、これほどの近さで隣り合って、時にはぶつかり、時には助け合って、うまく折り合いをつけながら暮らしてきた。その積み重ねが、お互いが大事にしている固有の文化を形作って、守ってきた。国境という線は、地図の上にしか描かれていません。しかし人の営みや文化は、その線をはさんで絶えず行き来してきました。海の向こうとの往来を千年以上も日常として続けながら、それでも対馬は対馬らしさを失わずにきた。交わりながらも、決して染まらない。それこそが、この島の誇るべき個性なのだと思いました。
そして、さらに俯瞰して考えると、私たち島国の日本人が誇る日本文化と呼んでいるものもまた、外の世界との交流の中で少しずつ形づくられてきたという事。普段の暮らしの中ではなかなか意識しないことを、たった1時間半の国境旅が気づかせてくれました。国境は、海の上に確かに引かれていました。その線は、ふたつの国を引き離すためではなく、誇りを守って安心して隣り合うためにある。それを肌で感じられる場所。それが、対馬という島なのです。(対馬感考案内人F)


