来年度のNHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」。歴史好きの方なら、すでに耳にされたかもしれません。この作品の主人公は、戦国武将や維新の志士のような、教科書に載る有名人ではありませんが、歴史ファンの間では絶大な知名度を誇る人物です。描かれるのは、幕末という激動の時代を舞台裏で支え、日本の近代化の土台づくりに関わった人物、小栗忠順です。
このドラマが興味深いのは、幕府は時代遅れだから倒幕!いう新政府側の勝者ストーリーを讃えるのではなく、その裏側で何を守ろうとし、何を変えようとしていたのか、知られざる内側を描こうとしている点です。外交、情報収集、列強との駆け引き。刀の戦ではなく交渉と判断の連続だった幕末という時代。その最前線にいた人物のひとりが小栗忠順なのです。対馬との接点も、まさにその文脈の中にあります。1861年、ロシア軍艦による対馬占領事件、いわゆるポサドニック号事件が発生します。列強の圧力が現実の脅威として日本の国境、対馬に現れた出来事でした。小栗は外国奉行として対応にあたり、直接的な武力衝突を避けながらも、外交交渉を通じて事態収束を試みます。この経験は、日本の沿岸防備や近代的な国防体制の必要性を、幕府内部に強く認識させるきっかけのひとつになりました。
その歴史を思い浮かべながら歩きたい場所が、下対馬エリアの美津島町にある「芋崎砲台跡」。幕末に露わになった国境の危機と、その後の近代国家形成が地続きで見えるという点で、ドラマを観る上でも重要なスポットです。



現地へ向かうには、美津島町昼ヶ浦側から入山します。ルートは案内看板から砲台跡までおよそ30分、登山道は明治期の軍道なので植物や落葉で道が見えにくい場所もありますが、長めのブーツやトレッキングシューズがあれば比較的歩きやすく、急な高低差はありません。進む上で注意点が一つ。途中現れる案内板には「芋崎砲台跡」の表示はなく、「ロシア軍船舶留置跡」の看板だけが残っていますが、進行方向は同じなので、その案内に沿って進みましょう。



山頂には、明治20年代以降に整備された芋崎砲台の重厚な遺構が残されています。ここは全国的にも珍しく、日清戦争期の第1期、日露戦争を見据えた第2期、さらに昭和期の構造が重なって残っている場所です。異なる時代の防衛技術が一つの場所に混交している点でも珍しく、かなりの見応えがあります。


小栗忠順自身が砲台を築いたわけではありませんが、幕末に抱いた、このままでは日本は列強に飲み込まれるという危機感や、近代的な造船・防衛体制への構想は、その後の国家建設へと受け継がれていきました。対馬が国防の最前線だったという位置付けと、後年この地に築かれた要塞群とを重ねると、幕末と明治は思っている以上につながって見えてきます。さらに砲台から海岸側へ下ると、ポサドニック号事件に関わる痕跡も残されています。穏やかな浜辺に残されたドック跡や台場跡、かつて国境をめぐる緊張が確かに存在していた証を目の当たりする場所です。小栗が対馬を訪れていなかったら。ロシアの実効支配が進んでいたら、もしくはイギリスに飲み込まれていたら。対馬での無力な外交交渉の挫折がなければ日本の近代遺産、横須賀造船所も生まれなかった。国境という地理的な宿命があるからこそ起こった、奇跡的な出来事です。
来年度の大河ドラマを機に、小栗忠順という人物や、幕末を幕臣の側から見直す視点に注目が集まるかもしれません。まだ物語として語られる前の対馬を歩き、砲台跡を訪れて浅茅湾を眺める。そうすると、ドラマの没入度がきっと変わるはずです。今年は、その予習の旅にちょうどいいタイミングではないでしょうか。
(対馬感考案内人F)
▼対馬全島31ヶ所のマップ&一覧も掲載!
対馬の要塞が丸ごとわかる「対馬砲台あるき砲台」ガイドブック(パンフレットへのリンク)
https://drive.google.com/file/d/17Gi7-mRVYE4MHs7nw_1_CHjV3SJUKsoZ/view