対馬は、九州本土とユーラシア大陸をつなぐ、国境の「辺」であり、日本海と東シナ海を結ぶ「要」である。大陸側から日本列島を俯瞰すれば、鎖状で「自然の城壁」である。その中心位置が「対馬」だ!日本防衛ラインの最前線にして戦略上の要衝でその価値は、現在でも普遍ある。幕末の1861年対馬事件後の近代に入ると日清戦争・日露戦争から先の大戦にかけて浅茅湾一帯を始めとする全島に数多の要塞(軍事遺跡=近代遺跡)が建設された。浅茅湾は明治中期になるとの艦船の泊地として最適。それ故に浅茅湾を防護し、外国に利用させないことが緊要となり、ここに対馬要塞第1期砲台建設が始まる。

芋崎は、対馬の中央部浅茅湾の南辺に位置する。芋崎浦とは「昼が浦」集落の西側で岬の突端から大瀬の浜~川浦までを言う。芋崎への陸路は、峠から軍道を利用する。砲台地区及び芋崎浦は1861年対馬事件の舞台であった。

第1期工事の最重要砲台は、芋崎砲台。敵の攻撃目標は、浅茅湾内「竹敷の海軍基地」である。我を正面から突破分断しながら各個撃破が考えられる。接近経路として浅茅大口から侵入し、緊要地形(それを支配、占領することにより、彼我の戦術行動に決定的な影響を与える地形)である芋崎を攻撃し、順に竹敷に至る。よって我は、防御としての勝ち目を追及する。芋崎は、待ち受けの利として「地形の利用や周到な準備」ができる場所。“芋崎を支配・占領したものが浅茅湾を征する”という先人の声が聞こえる・・・。

標高75m台地から、海に向かい東側から順に右翼観測所、下って棲息掩蔽部~第1砲座(1砲)~第一号砲側庫~第2砲座(2・3砲)~第二号砲側庫~第3砲座(4砲)~司令室~左翼観測所。砲台の後方台地には高射砲部隊の陣地跡となる。28cm榴弾砲4門(3砲座・4砲床)、明治20年4月~21年10月。その後、明治31年~35年にかけて大改造する。

明治日本は、近代要塞築城の技術(19世紀から20世紀初)を西洋から学んだため、要塞の基本設計や建築物の特徴も同時代の西洋と共通する。その特徴は砲側庫や掩蔽部などの穹窿(きゅうりゅう・アーチ形)に見られる。これは全世界的(グローバル)な側面における価値と捉える。反対に石積みなどの日本の伝統的工法を活かした面も多い。こちらはローカルな側面における価値と捉えることが出来る。(唐澤康彦著『瀬戸内海の近代国防遺産』参考)

①排水:日本は欧州に比較し多雨・多湿であるので、傾斜を大きくしている。吸水では排水路・排水溝が多い。②防湿:火薬庫等・掩蔽部の内壁には漆喰が塗られ、排水溝や排気口もある。③貯水所:天水を三点ろ過式で沪過し、貯水池に。④厠(トイレ):貯水所から50m位離し、一段低い場所に位置する。兵員が駐屯するなかで衛生を含む生活面に深い配慮が施されている。
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*東京湾要塞に次ぐ日本で2番目に始まった工事1つ。築城の神様と称された上原工兵大尉(後の陸軍大臣)が指導した要塞の一つで極めて価値が高い。
*円滑な射撃指揮や耐弾性の向上の変化を見ることが出来る。
第1砲側庫の入口上部に扁額がある。彼は、岡山県出身、明治7年21歳で陸軍教導団(下士官養成機関)に入る。同9年卒業、陸軍伍長に任官。同16年工兵少尉に任官。同19年中尉に任官。同20年要塞第1期工事の工役長として着任。その後、由良(淡路)、下関、舞鶴、そして、最も困難かつ壮大だった東京湾第二海堡の築城に尽力。彼は、中佐、大佐と昇進し、61歳のとき退官し、朝鮮総督府の営林廠長を歴任する。明治期の工兵科士官の教導団下士官出身者で、大佐まで昇進した軍人は彼だけと言われている。

昭和16年7月、88式7糎半野戦高射砲4門でスタートし、11月、防空大隊に。17年10月まで配置。以後、長崎市の金毘羅山に陣地変換。20年8月9日の原爆投下により、ほとんどが被爆する。戦死48人、負傷者200余人を出した。記念碑には「大東亜戦守備之地」豊島部隊、裏側には昭和17年秋と刻まれている。

左翼観測所の司令室には、オンドルの痕跡がある。日野義彦著『対馬拾遺』3対馬の砲台項に《弾薬庫、兵舎等は終戦後、隣の国から日本へ密航する人々の格好の隠れ家であったことは、対馬の人々の記憶に新しい。》とあるように、石で囲んだ焚口から床下に溝を作り、煙や熱を流して溝の上には赤粘土を貼っている。傍には洗面器や小さめの杉板製の下駄やビン類が転がっていた。・・・

芋崎砲台は、対馬要塞第1期、2期工事の混淆型で保存状態も良好である。また、工役長の扁額、左翼観測所の位置(現地の地形を最大限に活用した)など他の砲台と異なる特色を持ち、明治の職人たちの丁寧な仕事ぶりを見ることができる。軍事遺跡とは「地域の近代史を、あるいは日本の近代史を考えるためには欠くことの出来ない遺跡」である。この考えの下、芋崎砲台(遺跡)は、①わが国の近代化を理解する上で欠くことのできない遺跡。②近代史の各分野において学術研究上、重要な意義を有する遺跡。③各地域における近代史の特徴をよく表す近代遺跡に該当する。

元自衛官
文化活動
宮本常一の足跡を巡る会 代表
対馬要塞物語編集委員会 代表
元ガイドの会「やんこも」副会長
主な著書
『辺要 対馬・壱岐防人史』
『対馬こころ』
『宮本常一の足跡 壱岐・対馬を巡る』
共著『対馬要塞物語その1~5』を発刊